田頭拓己のブログ

田頭拓己のブログ

一橋大学大学院経営管理研究科専任講師。実証的なマーケティング研究。マーケティングに関する小咄や日々の出来事を記録します。

「店舗はECに勝てない」は本当?その1: 消費者の購買費用についての整理

 だいぶ更新が久しぶりになってしまいました。この数ヶ月の間に私は、ずっと査読にかかっていた論文が採択されたり、東大の特任助教から一橋の専任講師(テニュアトラック)へ所属が変わったりと色々変化がありました。

 マーケティングの分野では博士号取得後すぐに任期なしの教員になる大変優秀な人たちが多く、私のように任期付き助教テニュアトラックというルートに馴染みのない方も多いと思いますので、需要があればこの辺りの大学教員就活事情について記事を書いてもいいかもと考えていたり、いなかったり…。

小売企業の活動とマーケティング

 久しぶりにブログを更新するにあたり、最近使い方を学んだテキスト分析ソフトを使って山下達郎の歌詞分析でもしようと思ったのですが、著作権上の問題でネットから歌詞データを落とせなかったので断念しました。そこで、私のメインの研究対象である小売企業についての小咄を書くことにします。

  近年の小売業の特徴として、電子商取引e-commerce: 以下、EC業者の台頭があげられます。特に、EC業者の代表例であるAmazonの成長には目を瞠るものがあり、Amazon2016年の売上成長率はアメリカ国内で25%、国際的にも24%Amazon.com, Inc., “2016 Annual report”, p.23)と、世界的に売上を伸ばしていることが伺えます。日本におけるAmazon2016年売上高は1079700万ドル(約1.1兆円)で、売上成長率は30%であり(Amazon.com, Inc., 2016 p. 68)、日本においても売上を伸ばしています。

  Amazonの台頭によって、日本にも店舗があるSports Authorityやトイザらスが米国本国において経営破綻に見舞われるなど、経営困難に直面する伝統的小売企業がここ数年増えてきました。このような状況に伴い、数年前から「小売店舗はECに駆逐されるのか?」という旨のネット記事も散見されるようになりました。

 このような状況を鑑みて、本ブログでは、店舗運営とEC運営の違いを2回に分けて整理していくことで、店舗はECにすべての面で負けているのか、という点について少し冷静に考えるためのポイントを提示していきたいと思います。なお、この2回の内容はあくまで小売店舗とECとの間の構造的な違いを整理するものであり、個々の企業戦略などに踏み込んだものではないことを注意して頂けると幸いです(つまり、ECに負けてない日本企業すごい!的な記事ではありません)。

 このような記事を書く背景として、実は先述の採択された論文が、ECと実店舗の両方を運営する小売企業の活動と成果を捉えた内容であるため、同様のテーマについての記事を書こうと考えた次第です。その上で今回の記事では、実店舗の運営に関わる重要なポイントである、消費者の買い物に際して生じる費用について、簡単に整理していきます。そして次回の記事では、ECについての整理を行うことを予定しています。もし余裕があれば、これらの内容の発展版として、同一の企業が実店舗もECも運営する(マルチチャネルやオムニチャネルと呼ばれる)小売形態についての記事も書きたいと思っています。

 なお、伝統的なマーケティング論は製造業者の経営方策として議論されてきたという背景があり、マーケティングにおいて小売企業は、有名な4PsにおけるPlaceという、製造業者によって管理されるべき対象である流通経路として捉えられてきました。しかしながら、小売企業も競争にさらされており、競合に顧客を奪われないよう、(1) 立地・アクセス、(2) 商品構成 (品揃え)(3) 価格設定、(4) 店舗内レイアウト、(5) 付随・人的サービスといった、いくつかの要素を調整することで自身の営業形態を特徴づけ、競合との差別化を図り需要を確保しようと試みます(例、マーケティングと商業の対立)。

消費者の店舗選択行動概要(消費者の購買費用)

 まずは、小売店舗を選択する際の消費者の行動について整理します。そこで、ある特定の商品を購入する消費者が、どの店舗を選ぶかを決める状況を考えます。

 このような消費者の店舗選択に対する理論的な捉え方にはいくつかありますが、最も基本的な考え方は、消費者購買に関する費用(手間等も含む)を最小化するというものです。これは、どの店舗から商品を購入してもその製品から得られる便益は同じであるため、消費者は価格と購買に関する手間の合計(購買費用)が最も低い店舗を選ぶだろうという考え方に基づいています。なお、購買に関する手間とは、例えば、店舗までの移動や店内で商品を探すやめにかかる手間や努力などが含まれます。先程挙げたいくつかの要素はこの手間にも関連しています。例えば、立地・アクセスは消費者の出発地点(自宅や職場など)から店舗までの移動にかかるコストを捉えることができます。後述しますが駐車・駐輪の設備などもこの移動コストに関連する要素として考えられます。

 品揃えについては、例えば消費者が複数の商品(例、飲み物と絆創膏)を買いたいと思っていた時、これらジャンルの違う商品を同一の店舗内で取り扱っていれば、消費者は複数の店舗を買い回らずに済み、結果として購買にかかる手間を省くことができます。このように、一つの店舗で複数の買い物を済ませることをワンストップ・ショッピングと言い、小売店舗が品揃えの幅を広げる誘因となりました。また、見やすい店舗レイアウトや店員を通じた商品に関する情報提供は、店舗内での移動や情報探索にかかる費用を削減することにつながると考えられます。

 とりあえずここでは、複雑な要素は一旦置いておいて、店舗内環境はどの店舗も同質で、立地のみが違うという単純化させた状況を考えましょう。このような状況において消費者は、製品自体の価格とお店までの移動コストが最小になる店舗を選ぶことになります。なぜ、単純に価格の安い方から買うという形にしないかと言うと、例えば、卵を買う状況において、ある店舗の価格が10円安からと言って、わざわざ東京から大阪まで足を伸ばす人はいないだろうということを想定しているためです。

 つまり、ある程度物理的距離の離れた店舗同士は競合関係にないということが言えます。このように伝統的な小売店舗同士の競争においては「商圏」という考え方が重要になってきます。ここで、もう少し考える要素を増やし複雑にすれば皆さんのリアルな買い物行動に近くなるかもしれません。例えば、「移動をどれぐらい嫌と感じるか」という程度が消費者個人によって異なる場合です。

 具体的には車を所有しているか否かと置き換えて考えても良いかもしれません。車を持っている人は自宅から5km離れたスーパーへの買い物も問題なく行えるかと思いますが、車がなく徒歩で買い物に行く人が、食料品を抱えて5km移動するのはかなり厳しいと思います。このような消費者の購買スタイルを捉え、自店舗へより広い範囲からお客さんに来てもらうために、小売企業は、駐車場設備を整えたりするわけです。駐車場が整っている店舗には車で買い物に来るお客さんが増え、より広い商圏から集客できると考えられるためです。このような理由から、先述の立地・アクセスという要素に駐車場などの設備も含めて説明致しました*1

 少し脱線しましたが、このように、小売店舗での競争においては商圏という物理的制約があります。ここを克服するため、企業は駐車場を整備したり、複数店舗を展開(チェーン組織化)したりしてきたわけです。このようなチェーン組織化に伴う効果や効率的な企業経営など、小売マーケティングを語る上で重要な要素は他にもあるのですが、今回の記事では省略します。

売店舗の広告・周知機能

 本記事では、消費者の購買費用という考え方に加えて、もう一点、小売店舗が持つ特徴を説明致します。それは、小売店舗が持つ広告・周知機能です。

 私の自宅近所には老夫婦が営んでいるお肉屋さんがあります。このお店はテレビCMやSNSでの広告はもちろん、近隣住宅へのビラの投函や駅前でのビラ配りなどの広告活動は行っていません。しかし、私はそのお店のことを知っており、実際に買い物をしたこともあります。皆さんの身の回りにもこのようなお店があり、実際に買い物をした経験がある人もいるのではないでしょうか。

 このような購買経験の背景には、先述の小売店舗が持つ広告・周知機能が働いていると考えらます。広告・周知機能というと大層なものに聞こえますが、要は、消費者は通りすがりにお店や看板を見かけることで、お店のことを知ることができるということです。

  この当たり前の機能は実はとても重要な要素で、小売店舗の運営費用に影響を与えると考えられます。例えば、人通りが多いエリアに出店する場合には、広告・周知に費用をかける必要性は低いかもしれませんが、郊外でかつ駅からも離れた場所に出店する場合には店舗の存在を周知する必要があり、そのための費用が必要になります。

まとめ

今回の記事では、伝統的な小売店舗運営を理解する上で重要な、 (1) 消費者の購買費用と、 (2) 店舗の広告・周知機能について説明しました。次回の記事では、EC運営の特徴と、店舗とECの差異について整理していきたいと思います。

*1:なお、テキストによってはこのような駐車設備などを店舗施設の物理的特徴という要素で捉え、立地・アクセスには含まない形で説明するものもありますが、基本的な考え方は同じです。